日記雑記

産まれる前のこと

2020年5月23日

胎児

胎児

2020-05-23(土) 18:19:34

会社を退職した直後、最近になって新型コロナウィルス騒動を受けてというわけではないけれども、自分が産まれてから行っていないという自分の部屋の大掃除を行いました。

そうしたら、色々な想い出深いモノに出会うことがありました。

自分が小学3年生の頃に、夢中で行ったゲームを楽しんで楽しんで楽しみまくったこと。

古いゲームソフトが出てきたりして。非常に懐かしいなと。ふと思います。

昔のことを思い出していたら、なぜか、この世に産まれる前のお母さんのお腹の中にいるときのことを思い出してしまいました。(さかのぼりだっ!😅)

 

産まれる前のこと

ボクは、珍しいことに、この世に生まれる前、お母さんのお腹の中にいたときのことをうっすらと覚えています。

なんだか、インチキくさいと感じられる方もいらっしゃるかと思いますが、たしかに、思い違いもあるのかもしれませんが、100人中2−3人ぐらいは、こうした産まれてくる前のエピソードを覚えているらしいのです。

もちろん、産まれてくる前だから、前世がみえる!というなんだかあやしいことを話したいのではありません。

ちなみに前世というのは全くわかりません。あくまで、お母さんのお腹の中にいたときのことまでしか覚えてはいません。

イメージとしては、母体の中にいるというのは、それはそれは、非常に居心地がよくて、まるで、常にエクスタシーを感じているというか、正直、母体の外に出ていきたくない、そんな感情をいまでも頭で覚えているというよりも感覚的に染み付いているという感じがします。

そうはいっても、産まれてくるということは、母体の外にでなければならないことを意味しています。

母体から出てくるとき、一気に外気にさらされ、肌寒いというか心もとない感情をもちました。

赤ちゃんが、産まれた時に「オギャー!」と泣くけれども、あれ、というのは、その時の鳴き声のような気がします。

このときの描写というのは、聖書の中のアダムとエヴァがエデンの園から追放された感覚と似ているかもしれません。

神様の管理下にあったエデンの園から追い出されて、アダムとエヴァは生きていくことになるというものです。

そのような高尚なものではありませんが、母体から離れるというのは、一瞬ではありますが、非常に大きな苦しみを伴います。

そんなことを覚えています。

 

赤ちゃんは全て見えてます

よく、赤ちゃんは最初の方は目が見えないと言われます。

本当でしょうか?

ボクは、産まれてからのことを全て覚えているのでわかりますが、たしかに「眼」を使って外界を観ることはできませんでした。

まさしく、真っ暗な世界です。

真っ暗な世界の中で、不思議です、人というから生物が行き交うのは全て見えているのです。

「見えている」というよりも「感じられてしまうのです」

遠くから、自分にとってイヤな人が来る。遠くから母親がくる。

イメージとしては、真っ暗な画面の中に、自分の母親であれば、モヤがかかった黄金色に光ったオーラのようなものがみえるのです。

そのオーラは、激しくうごめいています。母親以外のであると、光はなくなります。少しくすんだオーラとなり、自分にとってマイナスになるような人であれば、くすみ具合が強くなり、黒いような非常に嫌なイメージとなります。

ここで付け加えることは、目で見えるよりも、非常に性格にものを捉えることができる能力があるのです。

相手の感情や思考、どのような行動を行うかどうかも全てそれらのオーラの色、光り方で判断することができます。

したがって、赤ちゃんは全く馬鹿にすることはできません。オトナよりもとてつもない能力を持っているため、下手すれば、足元をすくわれます。

そのような「感覚的な」もので、みえなくとも聞こえなくとも全て感じ取る特殊能力を赤ちゃんは持っているのです。

残念ながら多くの方は全て記憶から消去されてしまいますが。

 

会社を辞めることと、赤ちゃんが立ち上がること

会社を辞めてから、はや、3か月が経過しようとしています。

最初は、掃除などを徹底的に行なっていたということもあり、ネットビジネスなどについてしっかりと勉強しだしたのは、2020年5月9日過ぎとなってからです。

そのときから、何か、会社を辞めたことが非常にリアルに感じることができて、ありゃま、何かしないとこりゃ食べていけなくなるぞ、こりゃ。と少し何か心許ない感じがしました。

この感覚、どこかで味わったような気がするな。

 

そう、赤ちゃんのころ、ハイハイしていたところから二足歩行する瞬間の感覚に近いのです。

ハイハイを卒業する瞬間のことも鮮明に覚えています。

赤ちゃんの頃、はじめて立ち上がろうと必死になる(別に努力しているわけではなく、好奇心から自然にそうなってしまうイメージです)。

そして、いよいよ、立ち上がれた瞬間の感覚は、

FUJIYAMAのようなジェットコースターのてっぺんに登ったときのような感覚です。

これから一気に急降下するぞ!というときの怖いような、心もとないような、そんな感覚です。

そして、立ち上がった瞬間、世界が一気に広くなり、見晴らしが良くなり、それとともに部屋が少し狭くなったような感覚にもなります。

ジェットコースターで一気にてっぺんにいくと、富士山がみえて、見晴らしが良くて気持ちいいけれど、怖い。

そんな感じです。

会社をやめたときも同じような感覚がありました。

結局、自分の足で立ち上がる瞬間というのは、恐怖というものはあるのかもしれません。

ただ、オトナになってしまうと、再びハイハイに戻ってしまうのではないかと思うような人がいないように、自分の足で歩けるようになってしまえば、あまりそのことの恐怖心というのはなくなってしまうのかもしれません。

 

 

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